FLY TO THE FUTURE-第1章 途方もない夢への離陸13-

2018年06月29日

 義三が山梨に戻ってから二週間後、立川

飛行廠から文書が届いた。広瀬中将から

手配された飛行機を受け取りに来るように、

というお達しである。

 義三は、早速、立川に向かい、大型貨物

自動車に解体した飛行機を乗せて運搬した。

大型のサルムソン式二百三十馬力の飛行機

である。

 まだ格納庫がなかったため、自宅裏の倉庫

に保管した。

 とにもかくにも、まずは飛行機を入手する

ことができたのである。

 やっと飛行学校らしい基盤のひとつが

得られたのだ。

 これを弾みに、飛行場の建設を促進する

のだ。飛行機があれば、飛行場建設に協力

してくれる人も増えるかもしれない。

自分のやる気をアピールしていくのだ。

 義三は、飛行機の組立実習をより多くの

人に見てほしいと考え、甲府連隊区司令官

や新海甲府市長をはじめ、県内各界の名士

を新紺屋小学校校庭に招待して実習を行

った。またある時は、帝国飛行協会から

四王天中将を迎えて、県議会議事堂まで

小型飛行機を引いてきてその場で解体し

組み立てる実習を一般公開した。その夜は

四王天中将の時局講演会も行い、三千人

以上が集まる盛会となった。義三は航空界

への人々の関心の高さの手応えを得て

満足した。

 昭和八年、日本が国際連盟を脱退。

甲府では、舞鶴城公園内に柔道や剣道の

練習や大会を行うための武徳殿が完成。

世情は次第に軍国化の匂いを強めていた。

 しかし、義三はこうした時勢の中でも

休むことなく航空事業への意欲を燃やして

いた。

 甲府練兵場の隣接地に七百坪(2320

平方メートル)の土地を購入し、そこで

格納庫と校舎の建築に着手した。

 そして、昭和八年五月、格納庫と校舎が

完成。サルムソン式二百三十馬力の飛行機

を格納庫に納め、学校の名称を

『日本航空学校航空発動機練習所』と

改めて看板を掲げた。

 さらに、中古の小型飛行機と発動機を

東京帝都在軍航空研究会の斡旋で購入した。

 前年の昭和七年に入学していた機関練習生

は三十五名。学校らしい陣容が整ってきた。

 あとは、飛行場の整備である。なんとか

資金の目処をつけ、昭和九年、ついに玉幡の

二万坪の荒野における飛行場建設に着手した。

工事にあたって現場には事務所兼宿舎を

建て、十数人の作業員も雇用した。

―つづく―


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