FLY TO THE FUTURE-第1章 途方もない夢への離陸12-

2018年06月05日

 飛行場をつくる!

 その強い意志の実現に向けて、義三は研究

を重ね、どうすれば進捗できるかを画策した。

東京の逓信省航空局へも相談にたびたび足を

運んだ。

 来る日も来る日もそのことに注力している

と、何らかのチャンスが得られるものである。

義三は、埼玉県の陸軍所沢飛行学校の校長を

務める広瀬猛中将が山梨県出身者だという

情報を得たのだ。何か糸口が得られるかも

しれないと思い、すぐに広瀬中将に面会を

申し込んだ。

 念願の広瀬中将との面談の場で、義三は

緊張しながらも、自分も飛行学校で学んだ

身であること、国家情勢における航空教育

の重要性、自ら行っている教育事業への

思い、そして山梨に飛行場建設がいかに

必要かを切々と語った。

 ひととおり聞き終わると、広瀬中将は

目を細めて言った。

 「えらいこんですなあ」

 「えらい」とは甲州弁で「疲れた」とか

「大変」という意味である。「大変なこと

をやっているんですね」というねぎらいの

言葉であった。同じ郷里から自分を訪ねて

きた血気盛んな若者の話を聞いて、思わず

ふるさとの言葉がこぼれ出たのかもしれない。

陸軍中将という立場の厳格な顔が、義三に

対して和らいだようにも見えた。

 その温かみのある一瞬を感じ取り、義三は

また熱く語る。

 「山梨には飛行場がありません。なんと

してでも山梨に飛行場をつくり、そこで

航空教育を行う。それが自分の使命だと

思っております。まだ自分には飛行機も

何もありませんが、必ず立派な航空教育を

実現してまいる覚悟であります」

 「君の高邁な精神は立派である」

 広瀬中将は頷き、飛行科長である近藤

兼利少佐を呼んだ。義三を紹介された

近藤少佐は、広瀬中将同様に義三の志を

理解した。そしてこの二人の計らいで、

義三の飛行学校へ陸軍航空本部から

飛行機一機が手配されたのである。

 実物の飛行機がなければ航空教育は

できない。飛行機を譲ってもらえることは、

大きな前進となる。

 「なんともありがたきことです。心より

感謝いたします」

 「しっかりやりたまえ」

 広瀬中将、近藤少佐の心配りにより飛行機

を譲渡してもらえることになった感謝感激を

胸に、義三は「山梨に必ず飛行場をつくって

航空教育を成し遂げてみせるぞ」とまたしても

強く心に誓ったのだった。

―つづく―


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