FLY TO THE FUTURE-第1章 途方もない夢への離陸9-

2018年05月01日

■ 嵐のなかへ飛び立つ

 義三の実行力は人一倍どころか人百倍で

ある。

 思い立ったらすぐに行動に移す。

 これまでにない事業だからどれくらいの

資金が必要かはわからないが、莫大な金が

かかることは予想できた。まずは金をつくら

なくてはならない。これまで心血を注いで

利益を伸ばしてきた事業を潔く畳むこと

にし、業務の権利はすべて売り払ってまと

まった資金を得た。また、父から受け継い

だ遺産も処分して金に換えた。

 その合計金額は昭和七年当時で五十万円。

ちなみに昭和六年の総理大臣の給料は

八百円だった。

それほどの大金を元に、自動車さえ大衆に

普及していない時代に航空事業を始めよう

というのだから、今でいえば一般人が

いきなり宇宙ロケットを飛ばすのに挑戦する

ような途方もない話だ。

 当然、家族も親戚一同も大反対したが、

もはや義三の飛行機への思いは誰にも止める

ことができないほど熱くたぎっていた。

父亡き後の梅沢家の家長となっていた義三は

これまで家業を発展させ、資産を増やして

きた多大な功績もあったので、思うままに

事態を動かすことができたともいえよう。

跡取りの使命から飛行学校進学を諦めた

ときと違い、今は自分の決めたままに

進める立場にあったのだ。

 

 その頃、時代は暗い歴史の入り口に

あった。

 昭和七年一月二十八日、第一次上海

事変勃発。

 三月一日、満州国、建国を宣言。

 五月十五日、犬養首相らが暗殺された

五・一五事件が起こった。

 昭和八年三月二十七日、日本は国際連盟

脱退の詔書を発令し、国際的孤立への道が

始まったのである。ヨーロッパではファシ

ズムが台頭し、ヒトラーが独裁政権を確立

していた。

 明るい話題といえば、昭和八年十二月

二十三日に「日嗣の皇子」すなわち皇太子

明仁親王(平成天皇)が誕生したことである。

 

 きな臭い時代の暗雲などものともせずに、

義三は飛行士や航空機関士(現在の航空

整備士)を育成する学校の建設を計画した。

 これは私利私欲の事業ではない、日本に、

世界に役立つ人材の育成であるから行政に

協力を得ようと考えた。

 具体的には、地元・山梨県に飛行場を

建設してもらい、その近くに義三が飛行

学校を作れば、その飛行場を使って実地

訓練が行えるという計画だ。

 しかし、いくら山梨県に交渉しても埒が

あかない。何度予算を申請しても承認は

下りない。

 県の役人に飛行場と飛行学校をつくる

計画を説明しに行けばひととおり聞いて

くれるものの、その後は梨の礫。前例の

ないことには及び腰で事なかれ主義の役人

たちに腹を立てていても埒があかない。

 「ならば、俺が飛行場をつくってみせる!」

 義三はいきり立った。苦境になるほど

負けん気がさらに強くなる男であった。

 

 義三の母・なつは、家族や親戚の反対を

押し切り資産のすべてを注いで強引に

飛行機の事業を始めた我が子が心配で

ならない。日夜、仏壇で先祖に祈り、

それだけでは足りずに梅沢家が先祖代々

信仰する大嶽山那賀都神社や霊験あらたか

という山間の大滝の不動尊まで何度も

足を運んではひたすら祈りを捧げていた。

母の神仏にすがる思いを知った義三は、

「必ず成功させる!」とさらにやる気を

漲らせた。

―つづく―


このページの先頭へ

 

梅沢慶臣学園長ブログ

梅沢忠弘学長ブログ

篠原雅成校長ブログ

浅川正人学長ブログ

馬場欽也校長ブログ

小林学校長ブログ