FLY TO THE FUTURE-プロローグ3-

2017年12月26日

 理事長室の窓から正面に見える滑走路では、県民

の命を救うため、多くの人と多くのヘリが集まって

いる。そこに内線電話が入った。

「理事長、お電話です。小野寺防衛大臣からです」

「わかった」

すぐに外線に切り換えた。

「日本航空学園理事長の梅沢です」

「防衛大臣の小野寺です」

小野寺防衛大臣は、学園の滑走路を開放したことへの

謝礼を述べられた。防衛大臣直々の電話に私は感激

した。 
 「じいさん…、おやじ…、こんな日が来ましたよ」

 私は心の内でつぶやいた。

 かつて滑走路ができるまでどれだけの艱難辛苦を

味わったか。

 航空に携わる人材育成のための学校設立、そのため

の飛行場建設は祖父の代からの悲願であった。

 だが、祖父が学校を始めた当初は時代が早すぎた

というべきか、周囲の人々の理解がまだついてこられ

ない時代だったこともあって、地元ではなかなか受け

入れてもらえなかった。いわれのない誹謗中傷や

ひどい妨害もあった。

 それでもどんな逆風のなかでもけっして諦めず、

祖父、父、そして自分の三代に渡って信念を貫き

通し、今や海外から多くの留学生を受け入れるまで

の学校となった。

 〝飛行機きちがい〟と言われても己の夢を目指した

型破りな祖父・義三。

 規律に厳しく、侍のように強靭な精神であった父・

鋭蔵。

 小学生の頃、学校の先生にまで「おまえのうちは

オンボロ飛行機学校だ」と言われ悔しい思いをした

こともある。祖父、父とともに私も涙と血汗を流して

きた。

そうしてようやく滑走路が完成したときのあの喜び。

―――私の脳裡で歴史が逆流していった。

―つづく―


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