男子蹴球部初優勝

2012年11月12日

 

第91回全国高校サッカー選手権山梨県大会において、本校男子蹴球部が見事に全国への切符を手にした。今朝の山日新聞には、苦節38年栄冠に歓喜と見出しに書かれ、
「その道のりは順風満帆ではなかった。・・・一面も取れない狭いグラウンド、野球部と一緒のグラウンドであったが、2005年に人工芝となり関東全域から選手が集まり始めた。」とあった。
ここ数年で、県の総体で優勝、インターハイ予選でも優勝しているが、選手権は初である。
ドラマチックに苦節38年と書かれているが、少々違う内容である。
私がまだ20代の頃、30年前には既に野球場、サッカー場、陸上競技場と3つのグラウンドがあった。このグラウンドは私や副理事長である弟と共に、当時毎日毎日授業が終わった後、ブルドーザーやグレーダーで地均しをして、先生方のスコップで手作りしたグラウンドである。そして、平成4年に他界した父の努力によりできた県でも稀有の広いグラウンドであった。記事にある野球場と一緒であったことは、皆無である。
38年前に私が蹴球部を創部し、初代の監督になり、1年目から公式戦にも出場していた。この時は、出来立てのグラウンドで練習試合も行っていた。そして野球部は、既に県ベスト4に入る実力もあった。
私が監督を3年程務めた後、2人監督が入れ代ったが、現在能登空港キャンパス蹴球部の監督をしている田辺和文先生がベスト4に入るチームに育てあげてくれたのである。田辺先生が蹴球部の基礎を築いた後、現仲田和正監督がコーチとして着任した。
その後、能登空港キャンパスに蹴球部が創部された。指導者に悩んでいたところ、田辺先生が「こちらは仲田に任せて私が行きます。」と、言ってくれた。そして、山梨は仲田、石川は田辺という布陣が出来たのである。
その後、若き指導者、仲田監督は苦労を重ねた。私も何とか名監督になってもらいたくて、厳しい指導をしたこともある。蹴球部の生徒は、以前は学則違反をするやんちゃな生徒がいたり、私にまで反抗をする者も確かにいた。しかし仲田先生の成長と共に、蹴球部の実力も徐々についてきた。仲田先生は研究熱心であり、時間はかかったが、良くここまで昇ったものだと感慨無量である。若かった仲田先生も今や43歳になり、名実共に名監督になったと思う。これから更にたくさんの経験を積んで、全国に名の轟く名監督になって欲しいものである。
私自身も、更に勉強と修養を重ね、沢山の名教師、名監督が育てられるよう努力をしなければならない。
それにしても、蹴球部の生徒達は素直で、明るく、取り組む姿勢が真っ直ぐであり、素晴らしい生徒達である。名監督から名選手が産まれたのである。
また、応援生徒のその気迫と声の大きさには驚いてしまった。私はスタンドで応援しているピッチには立っていない部員達の姿、そして一緒に声援をおくっている他の生徒達の姿に感動し、最初から涙が出て仕方なかった。私は心から生徒に感謝したい。そして、生徒達から貰った勇気を大切にしたい。
仲田先生と生徒達から大きな物を、建学80周年と私の還暦の年に貰った。それは勇気である。最近私はこれに欠けていた。何事も年のせいか、消極発想になりがちであったが、再び奮起する所存である。
蹴球部の生徒の諸君、本当にありがとう。
蹴球部強化に協力を頂いた関係者の皆様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

学校法人日本航空学園  理事長 梅沢重雄


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