〜終章 『教育勅語』をさらに理解するためにー感謝〜本当の価値の上に人の道がある

2015年07月03日

 『教育勅語』の私なりの解釈を記してきま

したが、どの項目においても「感謝」の気持ちが

一本通っていることに気づかれたでしょうか。

本書の冒頭でも述べましたが、道徳の始まりは、

この世に生まれ、生かされていることへの

「感謝」からです。

 

 ある人からこのような質問を受けました。

「衣食足りて礼節を知るという言葉にあるとおり、

生活ができない状態では道徳どころではないのでは

ないでしょうか?」

 たしかに「衣食足りて礼節を知る」は正しいと

思います。生きるか死ぬかの生活状況では、

人間は生きるためになんだってするでしょう。

しかし、今この日本でそれほどの極限状態に陥る

ことは、まずありません。

 そう思えば、衣食足りての「足りて」という

価値判断がどうかということになります。食べる

ものでも、着るものでも、自分の好みとか贅沢さ

を価値判断の基準にしていれば、「足りない」と

なるでしょう。そこで、いったんその基準を取り

払って、本当の価値を見いだしてみることです。

 お金がなくてコーヒーが飲めなくても、白湯が

飲めれば喉の渇きは治ります。ジュースが飲めなく

ても、水道の水で水分は補給できます。寒さが

しのげる上着がある、熱い日差しをさえぎる

帽子がある、裸足で歩かなくてすむ靴がある……

そういう状況に感謝するのです。

 世界七十億人のうち、一日一ドル二十五セント

以下で暮らしている人は、十億人以上いるそうです。

アフリカのサハラ以南には、雨が降らず井戸も

ないところがたくさんあります。毎日川まで水を

汲みに行かなくてはなりません。そういう状況

では、水を飲めること自体がとてもありがたい

ことです。

 水がある、水が飲めることをありがたいと思う。

「足るを知る」とはそういうことです。今現在の

状況に足るを知る、そこに感謝の気持ちを持てば、

礼節を知ることができます。

 

 人と比べて、自分にはあれがない、これが足り

ないと思うのは愚かです。世間体を気にして見栄を

張るのも愚かです。

 まわりを見ると、世の中の人は皆幸せそうに

見えますが、それぞれ人に言えない悩みや宿命を

かかえて、苦しみながら生きています。悩みのない

人はいません。

 それでも、自分が生きていることに感謝し、

道徳を持って生きていればこそ、人として恥ずかしく

ない人生を送ることができるのです。

 みっともない生き方をしない、それは生きていく

うえでいちばん大切な誇りです。お金持ちでなく

ても、失敗しても、人として恥ずかしくない生き方を

している人は、本当にすばらしい。そういう「人の

道」を生きてほしいと願っています。


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