きょうだい喧嘩で学ぶことがある

2015年05月28日

 

 幼い頃からきょうだいで喧嘩をしながら大きくなるのは、

子どもの成長にとってはいいことだと思います。兄に

負かされて悔しい思いをし、「よーし、早く大きくなって、

強くなるぞ」と思うのは、弟にはよくある経験です。

弱肉強食の世界をきょうだい関係から学んでいるわけです。

 おやつの取り合いも、時には意味を持ちます。なぜなら、

それによって自分の立場と相手の立場、全体の立場が

わかるようになるからです。

 私はよくきょうだい喧嘩をして、父に廊下に正座を

させられたものでした。北側の暗くて寒い廊下に正座を

させられ、「足が痛い、寒い」と思いながらも、兄としての

自分は弟よりも年長なのだからと、反省する気持ちに

なっていきました。弟を泣かせてしまった自分を反省し、

「これからは、弟にやさしくしよう」と思ったものです。

 そうやって喧嘩をすることによって、きょうだいとしての

思い、関係も強まっていくのです。

 では、一人っ子の場合はどうでしょう。きょうだいが

いないので、きょうだい仲良くという教えは関係ないように

思うかもしれません。しかし、きょうだい関係を学んだ

ほうが、成長に大きな意味を持ちます。

 一人っ子にいちばんいいのは、寮生活を経験すること

です。ひとつ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食べる

寮の仲間は、きょうだいのような関係です。入浴や洗濯を

するにも、限られた時間のなかなので自分ばかりが長く

かかってはいられません。仲間のことを考えると、自分が

どう動けばいいかがわかるようになります。

 毎日顔を合わせていれば喧嘩をすることもあるでしょうが、

顔を合わせるからこそ、謝ったり仲直りをしたりする

必要があり、どうやったらいい関係をつくることが

できるかを考えることになります。

 ホームシックで泣いている仲間がいたら、自分も同じ

ように親元を離れているからこそ、相手の気持ちがわかって

あげられるので、そのときの状況にふさわしい言葉を

かけることができます。

 そうした一つひとつの経験が、一人っ子であっても

きょうだいがいるような貴重なものになります。一人っ子

だからといって、もらったチョコレートを自分一人で

食べるのではなく、誰かと分け合うことを覚えるほうが、

人生を豊かに過ごせるはずです。

 部活動も、きょうだいのような濃い関係を結ぶよい

経験となります。ともに汗を流し、大会などの目標に

向かって力を合わせ励まし合っていくと、きょうだいの

ような絆を育めます。先輩後輩の関係もありますから、

年少者は年長者の言うことを聞くとか、年長者は年少者を

守るとか、きょうだいのような関係に近い経験ができます。

 

ーこの人に学ぶー

◼︎毛利元就(もうり・もとなり)
 戦国時代の逸話です。安芸の大名、毛利元就には三人の
息子がいました。六十歳を超えて元就は隠居を表明し、
長男の隆元が家督相続していました。
 晩年の元就が病床についたあるとき、三人の息子を
呼び寄せます。
 そこで、息子たちに矢を一本引き抜いて折らせて
みせると、簡単に折れました。次に、三本を束ねてやらせて
みると、折れませんでした。そして、次のように言い聞かせ
ました。
「一本の矢は簡単に折れるが、三本がまとまると容易には
折れないものだ。この矢のように、一人では事を成すことが
できないが、兄弟三人が力を合わせれば、助け合って事を
成就することができる。兄弟仲よく結束して、毛利家を
守ってほしい」

◼︎徳川光圀(とくがわ・みつくに)
 
水戸黄門様として知られる徳川光圀は、初代水戸藩主・
徳川頼房の子として生まれました。六歳上の兄・頼重が
いましたが、光圀が六歳のときに将軍家光の命によって
光圀が後継に決まりました。
 ところが光圀は十二、三歳ごろから、学問をさぼって悪い
遊びをしたり、行儀も言葉遣いも悪い堕落した少年になって
しまったのです。素行のひどさは遠く江戸にも伝わって
いました。
 そんな光圀が十八歳のとき、司馬遷の著作『伯夷伝』を
読んで、大きな衝撃を受けます。描かれていたのは、紀元前
十一世紀ごろの殷(いん)の時代の伯夷(はくい)と叔斉
(しゅくせい)という兄弟の話です。

 伯夷と叔斉は、孤竹(こちく)という国の王子で、父は
長男の伯夷より、気に入っている三男の叔斉に王位を継がせる
ことにしました。しかし父の死後、叔斉は長兄の伯夷が
継ぐのが筋だと考えて、兄に位を譲ろうとします。しかし
伯夷は、父の遺志どおりに叔斉が跡を継ぐのがよいとして、
姿をくらましてしまいました。叔斉も国を去り、孤竹の国では
やむを得ず次男が跡継ぎとなりました。その後、故国を去って
いた兄弟二人は、再会後に力を合わせて生きて行くことに
なります。

 この兄弟が互いに相手の気持ちを思いやり、即位を譲り合う
姿に、光圀はわが身を照らしておおいに反省したというのです。
「自分は今まで一度も兄・頼重の立場や気持ちを考えたことが
なかった。弟の身分の自分が兄を差し置いて跡継ぎである
ことにさえ無頓着で、勝手気ままに荒れた生活をしていて、
兄に大変申し訳ないことだった」
 それまでの自分を恥じ、父が亡くなり相続の話になったとき、
高松藩主となっていた兄に気持ちを打ち明けてそれまでの
ことを詫び、兄の子を養子にして水戸藩主の跡継ぎにする
ことにしたのです。

 


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