日本人としての美徳を追求して

2015年05月18日

 

 日本の社会は、組織で成り立ってきたともいえます。

 江戸時代の士農工商制がわかりやすい例です。市民は職業による

階級で分けられ、それぞれ親の仕事を継ぐのが当たり前で、

武士の子は武士になり、農民の子は農民になり、鍛冶屋の子は

鍛冶屋になり、商人の子は商人になりました。また、士農工商の

さらに下には、賤民という差別される人たちがいました。

 いわゆる階級制度で、国家の秩序が保たれていたわけです。

特別な場合を除いて、商人の子は武士にはなれず、農民が武士と

結婚することはありませんでした。そのようにして、武家社会は

保たれていたのです。

 ところが、ヨーロッパやアメリカを知るようになって、それが

崩れます。幕末にアメリカのペリー率いる黒船が来航したのを端緒に、

日米和親条約が締結されて鎖国が終わると、人々は世界の情報を

次々と知るようになります。咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉がアメリカに

渡って見聞したときも、驚くことばかりでした。

 西洋の思想にも影響を受けるようになりました。福沢諭吉は

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と、人は皆

平等であると説きました。自由と平等が日本に根づくように

なっていったのです。

 

 こうなると、それまで階級組織で保ってきた秩序が、自由と

平等によって崩壊してしまいます。そこで、明治政府が国家の秩序を

保つために「大日本帝国憲法」を制定し、それに応じて道徳の定め

として明治天皇が渙発されたのが『教育勅語』です。

 言い換えれば、自由と平等のもとであっても、人々が敬い合い、

助け合い、支え合って日本を精神面でひとつに紡いでいく

存在としての意義があったと思います。

 日本語に敬語があるように、人を敬う、 へりくだるのは

日本人の美徳です。相手を思いやり、支え合うのは日本人の歴史に

根づいてきた生き方です。

そうした尊いものを失わないように、日本人としての道徳を

まとめたものが『教育勅語』といえます。それはつまり、

  • 日本国民の生きるための指針なのです。

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